櫓太鼓    西古川町
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西古川町の今昔
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西古川町の現在の店

  
店名 業種
高原病院 病院
田中又蔵商店 やきふ・乾物食品製造卸
田中辰ガラス ガラス・ステンドガラス
エルム企画 健康商品販売
アイガラス ガラス
冨美屋 茶道具
石橋司税理士事務所 税理士
阿波屋金物店 金物小売
若喜屋金物店 金物小売
一二三亭 長崎料理
LAVAGE古川店 衣料クリーニング
山川貴金属店 宝石
共楽園 中華料理
西部環境調査
株式会社
中島漆器黒板製作所 表札・塗物修理
よしひろ企画 不動産
石井金物店 金物小売
高村内科 病院
コラボレーション 美容院
Pステーション川端通 コインパーク駐車場
菊一文字 刃物研ぎ・販売
万屋町調剤薬局 調剤薬局
岩永金物店 金物小売
四本柱(しほんばしら)とは
 吊り屋根ができる以前は、四本柱といって土俵の四隅に柱が立ち、その上に屋根が置かれていました。柱には四色の布がそれぞれ巻いてあり、その色は四季と天の四神獣(しじんじゅう)を表わし、五穀豊穰(ごこくほうじょう)を祈念(きねん)しているともいわれています。
◯正面東側(東北) 青柱 東方の守護神 青龍神(せいりゅうしん=青い龍)春
◯向正面東側(東南)赤柱 南方の守護神 朱雀神(すざくしん=赤い鳥) 夏
◯向正面西側(西南)白柱 西方の守護神 白虎神(びゃっこしん=白い虎) 秋
◯正面西側(西北) 黒柱 北方の守護神 玄武神(げんぶしん=黒い亀)  冬
      日本相撲協会資料より

櫓太鼓とは
相撲場または歌舞伎の劇場で、開場や閉場を知らせるために櫓の上で打つ太鼓(広辞苑)

三社紋とは
諏訪大神、森崎大神 住吉大神の紋です。
諏訪社はかじの葉
森崎社は三つともえ
住吉社は三階松です。


三つともえ
三階松
右の写真をクイックしてもらうと拡大します。
昭和35年頃が一番子供も多く、隣近所には
同年代の子供が遊んでいました。
今はほとんどいませんし、青年もわずかです。
当時の子供は団塊の世代です。
 
西古川町に以前すまれた人々には
 安達商店 井上神仏具店  があります。
昭和40年の町名変更が町の結びつきを弱くし
ビル化により町の境目が不確実になった部分もあります。


昭和6年当時

昭和35年当時
赤い線のところが当時の西古川町
西古川町の歴史
相撲と縁が深く初代横綱:明石志賀之助の流れを受け継ぐ相撲取りが住んでいたといいます。長崎は江戸、京都、大阪ともに興行地でありました。長崎での興行は同町がしきり、以前、相撲取り用のかわらや(トイレ)が あった家が存在していました。また、木戸御免の札は世話役の西古川町と宿泊先の万屋町、大黒町の特権として与えられ、明治時代まで続きました。
角力踊くんちには網場の人に頼み、くんちの出し物として相撲をとっていたとされている。
 土俵4本柱など古式により兜童土俵の中に勝負を争い角力踊は神事奉納中最も古きもののひとつとされている。内田栄四郎氏所蔵に係わる諏訪神事奉納踊の総屏風には角力踊が描かれています。(富貴楼所蔵)
また、角力踊は前日言上神代の巻、後日言上
蚫満の巻などとがあるとされています
櫓太鼓文政4年に始めて奉納。今の大相撲の櫓太鼓の原曲といわれています。
平成6年には36年ぶりに奉納されました。
( 昭和33年のテープを元に町内の田中氏が復刻し、奉納なされました。)
角力踊道中囃子: 現在 中尾(現 田中町)にて保存されています。西古川町にて戦後この音曲を使用した記録はなく
復活させたら60年以上の年月を得て西古川町の音曲が諏訪の森に奏でられます。
道中に大太鼓等でにぎやかに行進したときの音曲が角力踊道中囃子です。しかし、同町に詳しくしる人がいないのが、現状ですが、。

傘鉾  :相撲ゆかりの町らしく、軍配、弓取りの弓、相撲故事の巻物を飾る。幕は白地潮瀬に金糸で三社紋(諏訪大神、森崎大神 住吉大神の紋)を刺繍しています。
     
本踊  昭和54年は「花競諏訪の曲突」を奉納(相撲にちなみ餅つきを取り入れた本踊)               
      平成6年 には「諏訪舞晒三番叟」を奉納。所望踊として 「ぶらぶら節」

精霊船 西古川の船は4尺ほどの小船に赤白の帆をかけたるを幾つもなく繋ぎ合わせ角力場の4本柱を想(れんそう)せしめたと記録されています。
                                       参考文献:長崎市史。長崎郷土物語等
寛永11年(1634年) 興福寺の黙子如定の建設指導により中島川に眼鏡橋が架かる
長崎くんちが始まる(9月7日〜9日)
慶安元年(1648年) 眼鏡橋、洪水で損壊するが、平戸好夢が修復
寛文12年(1672年) 西古川町 発祥(古川町を分町)
明和3年(1766年) 西古川町からの出火にて、16の町を焼く(明和の大火)
天明2年(1782年) 西古川町から出火。このとき町にて地蔵様を作る。
文政4年(1821年) 西古川町 櫓太鼓を初めて奉納
天保5年( 1834年) 水神様を常盤橋際の祭る(6月15日)現在は水神神社にあずけてあります。
明治初期 玉園火事があるが、西古川町のお地蔵様のおかげで同町に延焼しなかったという言伝えが、あります。(地蔵祭7月24日。現在,袋橋の脇に設置
明治20年(1887年) 大日本相撲協会設立(当時は東京と大阪にありました。)
西古川町の権限が弱まっていく。(木戸御免)
明治41年 相撲踊奉納  「相撲故実弓取式」
大正5年(1910年) 傘鉾のたれを町内の寄付により新調
大正5年の奉納⇒相撲踊
昭和20年(1945年) 8月9日 原爆投下 
中島川で火が止まり火災にはならなかったが、爆風により多くの家屋傾く
昭和26年(1951年) 戦後 長崎くんちに櫓太鼓を奉納(昭和25年よりくんち再開)
昭和33年(1958年) 長崎くんち奉納(本踊り、櫓太鼓)
昭和35年(1960年) 眼鏡橋 国の重要文化財に指定される
昭和40年(1965年) 西古川町・角力踊道中囃子が県指定無形民俗文化財に指定
昭和41年(1966年) 町名変更により、西古川町が分断(諏訪町、古川町、万屋町)
昭和54年(1979年) 21年ぶりの長崎くんち奉納(本踊り)
昭和57年(1982年) 7月23日長崎大水害にて中島川氾濫 町全員域一階部分浸水
長崎市内で299名死亡。町内にて、死亡者は幸いにもゼロですむ。
 しかし、このことにより中島川の防災工事のため、のち町民の約半数が立ち退き家屋となり、町内を去ることになる。
 
昭和61年(1986年) 水害復興のため 踊り町を辞退
昭和64年81989年) 昭和天皇 崩御(その年の長崎くんちは中止)
平成6年 (1994年) 長崎くんち奉納(本踊り、櫓太鼓 相撲土俵入り 相撲甚句)
櫓太鼓が、36年ぶりの復活ということでマスコミの話題になる。
平成18年6月吉日 地蔵様のおみやを建立(梅田建設施工)
平成18年11月22日 中島川公園交番跡をふれあいセンターとなり、魚の町と西古川町の自治会所として使用可能となる。
平成19年(2007年) 長崎くんち奉納へ準備委員会を設立