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| 西古川町の今昔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| メールはこちらへ 西古川町の現在の店
相撲場または歌舞伎の劇場で、開場や閉場を知らせるために櫓の上で打つ太鼓(広辞苑) 三社紋とは 諏訪大神、森崎大神 住吉大神の紋です。 諏訪社はかじの葉 森崎社は三つともえ 住吉社は三階松です。 梶 三つともえ 三階松 |
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| 西古川町の歴史 相撲と縁が深く初代横綱:明石志賀之助の流れを受け継ぐ相撲取りが住んでいたといいます。長崎は江戸、京都、大阪ともに興行地でありました。長崎での興行は同町がしきり、以前、相撲取り用のかわらや(トイレ)が あった家が存在していました。また、木戸御免の札は世話役の西古川町と宿泊先の万屋町、大黒町の特権として与えられ、明治時代まで続きました。 ●角力踊くんちには網場の人に頼み、くんちの出し物として相撲をとっていたとされている。 土俵4本柱など古式により兜童土俵の中に勝負を争い角力踊は神事奉納中最も古きもののひとつとされている。内田栄四郎氏所蔵に係わる諏訪神事奉納踊の総屏風には角力踊が描かれています。(富貴楼所蔵) また、角力踊は前日言上神代の巻、後日言上蚫満の巻などとがあるとされています ●櫓太鼓文政4年に始めて奉納。今の大相撲の櫓太鼓の原曲といわれています。 平成6年には36年ぶりに奉納されました。 ( 昭和33年のテープを元に町内の田中氏が復刻し、奉納なされました。) ●角力踊道中囃子: 現在 中尾(現 田中町)にて保存されています。西古川町にて戦後この音曲を使用した記録はなく 復活させたら60年以上の年月を得て西古川町の音曲が諏訪の森に奏でられます。 道中に大太鼓等でにぎやかに行進したときの音曲が角力踊道中囃子です。しかし、同町に詳しくしる人がいないのが、現状ですが、。 ●傘鉾 :相撲ゆかりの町らしく、軍配、弓取りの弓、相撲故事の巻物を飾る。幕は白地潮瀬に金糸で三社紋(諏訪大神、森崎大神 住吉大神の紋)を刺繍しています。 ●本踊 昭和54年は「花競諏訪の曲突」を奉納(相撲にちなみ餅つきを取り入れた本踊) 平成6年 には「諏訪舞晒三番叟」を奉納。所望踊として 「ぶらぶら節」 ●精霊船 西古川の船は4尺ほどの小船に赤白の帆をかけたるを幾つもなく繋ぎ合わせ角力場の4本柱を聨想(れんそう)せしめたと記録されています。 参考文献:長崎市史。長崎郷土物語等 |
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